私の父である井上絹夫が、八鹿の地に但馬病院を創設いたしましてから60年以上が経ちました。その頃の思い出として、父や職員の方々、患者さま方と夏の夕暮れに円山川に鮎取り(網打ち)に行ったことや、患者さま方と野球をしに行ったことが思い出されます。
若く屈強な患者さまが多かったその頃と比べると、患者さまの年齢層も随分変わったように思います。これは、但馬地方の人口高齢化に負うものでしょうが、当時と比べてこころの病気の種類や症状、治療のあり方もかなり変化したようです。ご高齢の方に多い、国民病として知られる「うつ病」と「認知症」が大きなウェイトを占めるようになり、これらに対する治療法も大きく進歩を遂げました。また、発達障害などの、これまであまり注目されることが少なかった病気にも光があてられるようになり、これらに特化した治療も開発されてきました。
しかし、精神科医療にとっては、今後さらに充実せねばならない点があります。それは、再発を予防し患者さまが出来る限り在宅で仕事・家事を含めて通常の日常生活が送れるようにすることです。症状が悪化した急性期には入院治療を要しますが、患者さまになるべく早く退院していただいて、在宅でのリハビリテーションを充実する事が強く望まれます。
私どもは、この課題を解決するために、今後外来での支援活動をより充実させたいと考えております。但馬地区の精神科医療の発展に貢献すべく努力してまいりますので、皆様にはどうかご理解・ご協力を賜りますよう宜しくお願い申し上げます。
若く屈強な患者さまが多かったその頃と比べると、患者さまの年齢層も随分変わったように思います。これは、但馬地方の人口高齢化に負うものでしょうが、当時と比べてこころの病気の種類や症状、治療のあり方もかなり変化したようです。ご高齢の方に多い、国民病として知られる「うつ病」と「認知症」が大きなウェイトを占めるようになり、これらに対する治療法も大きく進歩を遂げました。また、発達障害などの、これまであまり注目されることが少なかった病気にも光があてられるようになり、これらに特化した治療も開発されてきました。
しかし、精神科医療にとっては、今後さらに充実せねばならない点があります。それは、再発を予防し患者さまが出来る限り在宅で仕事・家事を含めて通常の日常生活が送れるようにすることです。症状が悪化した急性期には入院治療を要しますが、患者さまになるべく早く退院していただいて、在宅でのリハビリテーションを充実する事が強く望まれます。
私どもは、この課題を解決するために、今後外来での支援活動をより充実させたいと考えております。但馬地区の精神科医療の発展に貢献すべく努力してまいりますので、皆様にはどうかご理解・ご協力を賜りますよう宜しくお願い申し上げます。
医療法人社団絹和会 理事長
井 上 雄 一
東京医科大学卒業、鳥取大学大学院修了
医学博士号取得
烏取大学医学部神経精神医学助手・講師、順天堂大学医学部精神医学講師を経て、東京医科大学睡眠学講座を務める
現在、日本睡眠学会理事等、多数の学会の理事・評議員も務める
医学博士号取得
烏取大学医学部神経精神医学助手・講師、順天堂大学医学部精神医学講師を経て、東京医科大学睡眠学講座を務める
現在、日本睡眠学会理事等、多数の学会の理事・評議員も務める
私が初めてここ但馬の地に足を下ろしたのは平成15年10月のことです。当時は早く都会に戻りたかったのですが、住めば都、気が付けば但馬で20年近く経過しました。途中何年か他院へ転勤しましたが、その間も非常勤として但馬病院で勤務を続け、平成29年10月当院に戻ってまいりました。今では但馬に根を下ろす覚悟で居を構えて、休日には庭の小さな家庭菜園を耕す日々を楽しんでおります。そんな私ですが、この度、令和5年6月1日をもちまして、医療法人社団絹和会 但馬病院の院長に就任することとなりました。
精神的な悩みが多様化する昨今、当院を創設された故井上絹夫先生の理念を引き継ぎ、患者様とご家族に寄り添いながら、但馬地域の精神科医療、保健活動に貢献できるよう、微力ながら努力していく所存です。
精神的な悩みが多様化する昨今、当院を創設された故井上絹夫先生の理念を引き継ぎ、患者様とご家族に寄り添いながら、但馬地域の精神科医療、保健活動に貢献できるよう、微力ながら努力していく所存です。
医療法人社団 絹和会
但馬病院 院長
但馬病院 院長
堀尾 敦彦
~ 院長履歴(概略) ~
生年月日 | 昭和35年生まれ |
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出身地 | 池田市出身 |
資格 | 精神保健指定医 |
精神科専門医 | |
認知症診断医 | |
ICLSインストラクター | |
JPTECインストラクター |
常勤医師 大西医師(精神保健指定医)玉田医師(精神保健指定医)
非常勤医師 17名